昭和から平成に移り小島屋は原料を中心に急激に売り上げを伸ばす。 最盛期には営業10余名、事務職員4名など旧ポートリーの工場を本社と位置づけ当時朝から 電話が鳴り続けていた。それを受けて間もなく仙台、宇都宮に営業所を新設し本社から人員を派遣する。 更に原料で取引のあった焼き鳥の会社がタイに炭火焼の工場を新設するがそれが縁で旧㈱こじま(現マルコ岩村) からタイの㈱スナッキータイに出資、非常勤役員を輩出する。 一句 どれほどに飢えず凍えず過ごせるかあのミサイルの一発分で 志ん笑