昭和40年代から50年代に入って国内の流通システムがアーバン(繁華街)型の食品スーパーから
当時のアメリカをモデルにした郊外型の大規模総合スーパーにシフトしていきます。
新発田管内も数軒あった食品スーパーが淘汰されていき一社「U」だけが生き残り今でも全県にチェーン展開してい
ます。ちょうど時期を同じくして新発田ポートリーもブローラーと採卵鶏(廃鶏)のどちらの処理を
担っていくかの選択に迫られます。
当時県内には大小合わせてブロイラー工場、廃鶏工場、それぞれ数軒ずつありましたが
新発田ポートリーは廃鶏の処理工場を選択するのでした。
ちなみに現在は県内にはブロイラー工場、廃鶏工場(弊社)それぞれ一社しか残っていません。
その両社とも新発田市に存在します。
一句 白球が飛ぶ夏空も砲弾が飛ぶあの空もこの地球(ほし)の空 志ん笑