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2024.04.04アップ

小島グループ立志編5 新発田ポートリーの憂鬱

昭和40年代から50年代に入って国内の流通システムがアーバン(繁華街)型の食品スーパーから

当時のアメリカをモデルにした郊外型の大規模総合スーパーにシフトしていきます。

新発田管内も数軒あった食品スーパーが淘汰されていき一社「U」だけが生き残り今でも全県にチェーン展開してい 

ます。ちょうど時期を同じくして新発田ポートリーもブローラーと採卵鶏(廃鶏)のどちらの処理を

担っていくかの選択に迫られます。

当時県内には大小合わせてブロイラー工場、廃鶏工場、それぞれ数軒ずつありましたが

新発田ポートリーは廃鶏の処理工場を選択するのでした。

ちなみに現在は県内にはブロイラー工場、廃鶏工場(弊社)それぞれ一社しか残っていません。

その両社とも新発田市に存在します。

一句    白球が飛ぶ夏空も砲弾が飛ぶあの空もこの地球(ほし)の空   志ん笑

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