昭和50年後半しばたポートリーの原料部が㈱小島屋として独立する。 小島屋は主に畜肉原料を加工メーカーに販売することを主な業務としてスタート。 そして間もなく仙台や宇都宮に営業所をも開設。そこに本社の役員を派遣する。 当時の日本経済はバブルの真っ最中経済拡大の時流に乗って小島屋は大きく飛躍するのであった。 一句 沿線に咲く花々でラッピング白新線の地元を照らす 志ん笑