昭和25年頃彼は新潟で鑑別の仕事をしながら生計を立てます。
日々近隣の採卵農場に出向く鑑別を生業とします。収入は一羽いくらの歩合給で当時の鑑別師の収入は多かったようです。
晩年彼女は「お父さんは鑑別に行くとアルミの弁当に溢れるくらい百円札を入れて輪ゴムで止めてきたよ」
それは当時のサラリーマンの月収の三分の一を日帰り一日で稼ぐほどたったといわれています。
一方彼女は昭和26年11月に新発田市大善寺小路(現中央町3丁目)にて㈱マルコ岩村の前身である
岩村精肉店を開業します。
ここで二人の性格に触れておきます。
彼は天衣無縫の性格でなんにでも興味を持ち好奇心が大せいで無神論者。しかし働き者の現場主義。仕事先から
ヒッチハイクの外人を自宅に連れてきたり若いころはクラリネットやアコーディオンに挑戦したり
晩年は英語を習ったりエピソードに枚挙がありません。また折々・・・・・
一方彼女は働き者でいたって堅実で信心深く、亭主が稼いできた収入で近隣の土地や古屋を購入して
一軒間口の肉屋で生計を立てていました。ちなみに岩村は彼女の実家の名字でそれを屋号にしました。
まさに「われ鍋にとじ蓋」ですなあ。
開業の翌年の昭和27年1月に次男が誕生します。(長男と次男の間に女の子を死産したようです。合掌)
彼女の口癖は「おとうさんは、細かい金にはけちだけど大きなお金のなるとわけがわからなくなるんだわ」
ですって・・・・・・・
BE CONTINUED・・・・・・・
一句 灰色の冬樹切り絵の形して越後平野は空低かりき 志ん笑出
このエピソードは途中からではわかりにくいかもしれません。
興味のお持ちの方はぜひ1から読み返してください。
週末はおやすみします。