昭和30年代に買った古家についていた稲荷社、母の夢枕のおかげで我が家に残ることになった。
当時従業員10名あまりのまさに零細・・・・というより家業。
表通りに肉と総菜を販売、裏の新発田河沿いで鶏の処理をしていた。いまのポートリーの前身である。
今はもう時効だからここに書くが鶏の羽や血液などは前の新発田川に廃棄。
いやいや弊社だけではなく流域には染もの屋や漬物屋がたくさんあって染粉や塩などを
勝手に流していたのだ。それでは当時の新発田川はきれいになるわけないよなあ。
そんなさなか今度は私の兄の夢枕にお稲荷さん登場する。
「こわれたコロッケやかき揚げでいいから・・・なにかくわせてくれええ…腹減ってたまらん」
おどろいた家族一同、時折おもりものをあげるようになった。
うれしいことに孫娘たちが時折あぶらげを煮しめてお稲荷様をお詣りしてくれる。
世代が繋がってきっとお稲荷様もほっとしているのだろう。
一句 金色に変わる稲穂に似合うよう青の濃くなる越後路の空 志ん笑